「サンセット大通り」の人々

サンセット大通り』の千秋楽から早くも2日経ったというのに、やっと落ち着いて振り返ったりしております。

いろんな情報からセットの階段が効果的に使われている・とは知っていたけど、実際に観るとほんとにその場面の象徴としてうまいこと機能していたことが分かりました。

見る角度・見える角度によってはその階段の重々しさ・というか、存在感の大きさ・というか、階段だけでこれだけ物語る事ができるんだ〜って事に感心いたしましたよ。

車も2台豪華な物が用意されていて、舞台上をなかなかの猛スピード(?)で駆け抜けていましたが、この作品のために造られたのでしょうか。

初見では、とにかく驚く事ばかりだったけど、ノーマが歌う「With One Look」・・この歌はなんとなく一幕最後か、二幕後半に歌うものとばかり思っていたら、ノーマ登場すぐに歌うんですね。
これは本当に何度聞いても聞き応えのある歌声でした。
千秋楽の日は歌い終わった後の拍手がしばらく鳴りやまなかったくらい素晴らしくて、とうこちゃんご本人もその拍手を聞いていたいってのが分かりました。

驚いた事のひとつは、ソファーに横たわっていたチンパンジー。最初指だけがかぶせてある布から見えていて、遠くの席からオペラで見た時は人間の指だと思っていたから「一体誰の死体なんだ?」なんて不審に思っておりました。けどめくられた布の下から現われたのがチンパンジーだったのでびっくり。
「なんで・ぬいぐるみ?」
なんてことが一瞬頭をよぎっても、それは仕方ないでしょう・・・ストーリーそのものが完璧に分かっていた訳ではないから。
けど・実のところは「あの死体もノーマが・・・???」なんて考えも浮かんだりして、かなり短い時間の中で私の頭の中はフル回転して思考を巡らせていたのでした。
分かってしまえばなんてつまらない発想をしていたんだ・と可笑しくもあったけど(笑)。

もうひとつはラスト、ジョーが撃たれて倒れ込むプール。舞台上の穴は後ろからはまるで見えないから、いきなりいなくなって・おまけにピストルの音にもびっくりして・ちょっとぴょんと椅子から浮かんだ・・・ような気がする(笑)。


と・まあ・話しの筋からはどうでもいいような事に驚いておりましたが(笑)公演プログラムを読んでいたら、この『サンセット大通り』が奇蹟のようにして安蘭けいと出会ったことが書かれていました。
「誰もが演りたがる役」をとうこちゃんが演じられた事。それはやっぱり決められていた運命だったのかもしれないですね。

とうこちゃんが「運も実力のうち・と言うなら自分には実力がなかったのかもしれない」と宝塚時代の事を綴っていたけど、今のとうこちゃんにその言葉は似合わない。
いえ・実力をつけて運を負かし道を切り開いてきたとうこちゃんの「ちから」なのでしょう。

千秋楽の挨拶で共演者の方々が「再演を」と言っていたように実現すればまた楽しみが増えるけど、とうこちゃん自身はたとえ再演がなくても今やりきったから後悔はない・・というような事を話されていました。
現実世界から少し離れたところで暮らしているノーマの生活は、演じるには使うエネルギーがハンパないのかもしれないですね。

そう・・ノーマはねぇ・・・観ていて辛いな〜なんて事も思ったけど、あれはあれで幸せだったのかな〜・・・。
登場した時から貫録たっぷりな大女優の片鱗を見せながらも、ジョーに話しかける時の可愛い表情も切ない表情も、実にリアルに演じていたとうこちゃん。なんてったってあの「瞳」が語る世界は凄い。
歌の歌詞さながらに「まなざしは言葉より 世界ふるわせる」・・・ふるえましたとも・ノーマのまなざしに。

ノーマにとってジョーは復帰するためのひとつの駒であったかもしれないけれど、新年を祝う言葉をジョーから聞いた時の、ノーマの少女のような無垢さは可愛かった・・・。
だから
「あんたは50だ はたちのふりをするな」

は・・・まさに・墓穴だな。
ノーマが引き金を引いた気持が分からなくもない(・・ような気がする)。

ラスト、ノーマのためにマックスが虚構の映画の世界を創ってくれるけど、そのシーンのノーマの美しさは「その世界」でしか生きられなかったノーマの集大成を見ているようでもあり、自然と涙がこみ上げてきました。
千秋楽の日のとうこノーマは神々しいほどに美しかったです。
ちょっとだけ安蘭けい自身の「やり終えた」感も見えたとしても、それがノーマであったことに変わりはありません。

まだまだ語り尽くせない『サンセット大通り』の世界。

いったん・休止いたします(・・・なぜ?)。